熊本阿房汽車

鳥栖駅蒸気機関車が来るらしい。熊本から出るのでちょっと乗ってみようと思う。しかし一人で行くのは億劫だし、ボックス席なのだから気まずい。そこで後輩である三也乗遅に同行を願い出たところ、快諾してくれたので切符を取るように頼んでおいた。指定券は取れた。では乗車券が必要になるが、私は一々切符を買うのが嫌なのでフリーきっぷを買っておいた。ここで3週間ほど月日は開くことになる。

 

阿房列車運転日

鳥栖駅に向かった。鳥栖駅売店でお菓子と水を買った。鳥栖8:11に出る鈍行の熊本行きである。車両は古いやつだが塗装はぴかぴかだった。乗遅君とは熊本で待ち合わせだからさっさと行ってしまう。乗ると便所の横に進行方向向きの座席があったので、そこに腰を下ろした。

列車は平地を驀進し、すぐに止まる。大牟田にて5分程度止まるらしいので、馬鹿に広い歩廊に出て、ゴミを捨て、冷えた缶珈琲を買ってから再び進みだした。列車の先頭部に親子3代の家族がいる。父親は靴を脱ぎ、座席に足を乗せていてお行儀が悪い。母親は静かだが何せ子供がうるさいので、結局うるさい。老紳士、老婆は子供に合わせるので、うるさい。それに私の前に虫が落ちてきて僕の周りを飛び回るから余計にうるさい。雲仙岳を見ようと思ったが、あんまりうるさいから見逃してしまった。

乗遅

大野下を出た。私も鉄道趣味をしているから、この辺の撮影地くらい知っている。乗遅君はここいらで撮影をしているだろうと思い、ドアにへばりついていると連絡が来て、「西里で撮影しています」と言ってきた。私の立席はなんだったのか。それにそこそこ上手い写真を送ってきたので、余計に腹がたった。なので「そうかい」と送って、黙ってやった。しばらく山沿いを走り、隧道をいくつか走り抜けて植木に着いた。次が例の西里である。撮影してこの電車に乗るから乗って待ってろと言う、列車は遅れなく西里駅に滑り込んだ。中々乗って来ないから心配になって反対側のドアから後ろを覗いた。ドアが閉まる直前に跨線橋を走る乗遅君が居る。列車は遅れなく、乗遅君を置いて出発した。歩廊側のドアから後ろを覗くと、乗遅君は不機嫌そうに突っ立っていた。暫く進んで新幹線の効果を抜けたところで私が「残念だったね」と送ると、ご立腹されたのか、何も送ってこなかった。

熊本駅はそこそこ大きい。駅ビルが出来たらしいので、駅ビルに入ってヒマラヤ山系氏の本を買い、物産館で松風と汽車弁を買った。すると乗遅君が熊本にやっと着いた。

「お早う」「どうもどうも」乗り遅れた話を少しして、乗遅君と駅ビルを再度視察し、売店でお菓子と乗遅君の弁当を買ってから再び歩廊に上がった。

 

阿房汽車

歩廊には既に汽車が止まっており、ドアも開いて客を待っている。我らは乗り込み、荷物を置いた。斜めで座席を取っていたので誰も来ない筈である。安心して阿房列車を運転しよう。弁当を置いて、展望デッキに行った。

列車は「ポオ」と言う音とともに熊本を出発した。出発して走行も安定し始めたので我々は座席に戻った。すると往路で一緒であった喧噪一家が同席なさるようだ。

「やぁどうも」「どちらまで?」「鳥栖までで御座います」「私供もですのよ」そんなことは知れている。どうでも良いし、始発から終点までこの方達とは中々厭だ。早く新幹線で帰り給え。汽車より快適だし早いから。

汽車は裾野を右に左に走り、植木を超え、隧道を抜けた。次は玉名であるが、乗遅君は汽車弁を買うらしい。ビュッフェの行列に並び、暫く帰って来なかった。

玉名に着く直前に、乗遅君が弁当を持って帰ってきた。「君、これを駅弁とスチュワデスが言っていたがこれは汽車弁だろう。」「ですよねぇ、そもそも駅弁と言う物も電車の中で食べるわけだから、電車弁か列車弁に改名すべきだと思う。」「」普段曖昧な癖に、こういう列車のことになると頭一つ抜けている。「なぁ君、君は熊本でも汽車弁を買っていただろ、食べ残すのかい」と尋ねると「入りそうなら、食べます。食べきれないなら夜に食べます。」成る程良く考えている。ガッタンゴットン、ガッコンガッコン音が聞こえる、沿線では人が手を振っている。我々も手を振返すから、気分はお召し列車である。「どうやら、博多で事故らしいです。」「となると荒木で退避はできない訳だね」「まぁ、長く乗れるなら構わんですよ」珍しく的を射た発言である。

茄子乗遅

玉名で15分ばかり止まって、「ぽおっ」と言う音で玉名を出た。「君、お昼時だからさっさと飯にしようか」そう言って弁当を食べ始めた。もぐもぐ食べて、荒尾を過ぎるまでに食べ終わった。乗遅君の弁当箱を見るとまだ幾らか入ってる。「君、食べ残しはいけないよ」と言うと渋々箸を取り、食べ始めた。食べ残しはいけない、そう言った私は椎茸と茄子を巧みに弁当箱の隅にやった。それに気づいた乗遅君が「ア!あんたも残してるな!」腹がたったので返事をしなかったら、雨が降り出した。乗遅君は腹を立てると雨を降らす。

阿房停車

大牟田に着いた。0分停車であるが中々出発しない。車掌に聞くと博多で事故を起こしたので止まっているらしい。乗遅君は携帯の充電器を探すと言って車内を歩き回っていた。あんまり出発しないから、私は駅を回り始めた。大牟田の歩廊は行くときに書いたように馬鹿に長いから、多分荒尾か銀水の駅まで繋がっているのだろう。ボオっと外を眺め、デッキに行き、機関車を覗いているといつの間にか50分ほど経っていた。車掌がもう出るから乗れと言うので乗り込むと鐘が鳴ってドアが閉まり、後ろからの不思議な力も相まって大牟田の駅をさっさと出発した。売店の近くに座席があるのだが、何も買っていない。流石に失礼なので冷茶を買った。思った以上に美味かったが金がなかったのでやめた。瀬高の辺りで乗遅君が帰ってきたが、充電器は矢張り見つからなかったらしい。雨が降ってきたので乗遅君が腹を立てているのは見え見えだった。

 

暫く走って荒木に止まり、久留米に止まり、肥前旭を通過し、鳥栖に着いた。約1時間遅れであった。私は今から太宰府に行くので、ここで乗遅君と別れた。その後私は基山まで行き、甘木鉄道に乗って甘木まで行き、甘木から小郡まで行った。さほど面白くなかったので甘木阿房列車の話は少し端折る。小郡で西鉄に乗り換える。51分の急行に乗って二日市に向かおうとすると、臨時ダイヤなぞを組んで日中の急行は全部運休していた。仕方がないので30分後の普通で二日市まで行ったが、太宰府線も1編成でやり繰りしていたので、仕方なくやめてJR二日市まで歩いて、梅が枝餅を2つ買って、曖昧な気持ちの儘帰ってしまった。